<シリーズ> 野田淳子と私
東京コンサート「第2幕」
野田淳子東京コンサート実行委員 大野 裕
2000年9月4日(月)。東京芸術劇場小ホール。観客約200名。
歌手野田淳子の東京での初コンサートは、大好評のうちに幕を閉じた。東京ではほぼ無名に近い野田淳子の歌に聴衆は酔った。私はそれ以上に酔った。酔った勢いで「来年再びこの東京で、もっとデッカイコンサートを決行するぞ!」と吠えた。当時電通勤務で、野田さんとは同期入社の川田マリ子さんがすかさず「私も!」と合いの手を入れた。東京での初コンサートをしっかりと支えてきた井筒百子さんは、当然の如く呼応した。野田さんの高校時代の同級生、池浩さんが加わり、元電通でやはり野田さんの同期だった須田淳子さんが馳せ参じ、関西時代からの野田淳子ファンで、目下東京に単身赴任中の本窪田さん、一村さん、若井さんの強力トリオが合流、最強の「野田淳子東京コンサート実行委員会」が生まれた。
2001年11月16日(金)。abc会館。観客約350名。
手探りで始まった東京コンサートだったが、何とか成功に漕ぎつけた。若干の剰余金は、関西の歌手が東京でお世話になった感謝のしるしに、日赤を通じて三宅島の人々にカンパをした。
1年2ヶ月にわたる準備期間。打ち合わせ。意見の食い違い。未知との遭遇の数々。コンサートが終わって、「達成感」とそれ以上の「脱力感」。コンサートから少し距離をおいて冬眠に入る。
気がつくとあれから1年が過ぎてしまっていた。
実行委員会のメンバーで、私の定年のお祝いをしてくれるという。野田さんも京都からわざわざ駆けつけてくれるそうな。感謝で胸がいっぱいになる。
2003年1月9日(木)。ベトナム・サイゴン料理店「ミュン本郷店」。参加者7名。
宴たけなわで、いい気分になったまさにそのとき、井筒百子さんが突然つぶやいた。「また今年やろうよ!」絶妙のタイミングに思わず「やろう、やろう!」と軽く応えてしまった。つられて全員が「やろう、やろう!」の大合唱。銀座での二次会で川田マリ子さんも合流。かくて東京コンサート第二幕目の火蓋が切られたのだった。
3月21日、野田さんも交えて、第一回目の実行委員会が東京ステーションホテルで開催。実行委員長に井筒百子さんが、事務局長に私が選出された。会場は前回と同じabc会館をすでに確保。今回はもう少し実行委員を増やしたい。
2003年10月10日(金)。abc会館。観客400人・・・。
透きとおるような高音部に、たくましく響く低音部が加わった、新しい野田淳子を聴いてほしい。 |