☆ 野田淳子コンサート通信 ☆
「歩きつづけて」bP6
(2002年8月発行)

沖縄の地で共鳴する平和への願い

会沢芽美(メッセージシンガー)

その人は、大きなギターを抱え、バスから降り立った。痛いくらいまばゆい夏の日差しの沖縄の道の上に。

10年前…真白いフワーッとしたロングワンピースでギターを弾きながら透き通るようなやさしい声で歌っていたあの日のイメージのまま。

丸木夫妻が描く沖縄戦の図で知られる佐喜真美術館で、命の歌をうたう…それは、今回のチラシにうたった祖国復帰30年だとか、ペンションオープン3周年だとか、CD発売記念だとか、もっともらしい理由づけの以前に、沖縄に移り住んで、沖縄の痛みを知らされてしまった人間として、母親として、今再びかつての忌まわしい戦争への道をたどろうとしているこの時に、何かしないでいられない思いにせかされてのこと。

淳子さんが、Singerの最前線で、しかも同じ母親として子育てに家の事に追われる毎日の中で、悩みながらも、平和への思い、歌への情熱と感性を失うことなく、ひとりで頑張ってこられたことを今回知り(まぁ女同士、よくしゃべりまくった3日間で…)そんなところに自分自身を見るみたいで、今回ご一緒できて良かったと心から思っている。

あの美術館の凛と張りつめた空間にひびいた、温かく、涼やかな彼女のうたの声はいつまでも忘れないでしょう。

淳子さん、ほんとうにありがとう!

 

沖縄レポート(6月21日〜23日)

野田淳子


6/21 

宜野湾「佐喜眞美術館」での会沢芽美「未来色コンサート」のゲストとして出演。原爆の図で知られる丸木位里、俊夫妻が一九八三〜八七年に描いた大作「沖縄戦の図」ガマでの悲劇が恐ろしい迫力でせまってくる絵、端のこの絵がかけられた第3室でコンサートをと企画していましたが、魂が飛び交っているような不思議なこの部屋を見て、私も芽美さんも「ロビーで歌いましょう」と意見一致。急遽会場を変更。

予想を上回るお客様が続々つめかけました。読谷中の5人の女子生徒のすばらしい三味とうたの演奏も交え、芽美さんの一人語り、私のうたと聞いて頂きました。

ガマで子どもを殺さざるを得なかった女性を演ずる華奢な芽美さんに涙がでました。

 

6/22 

昨晩片づけ、翌日の準備などで深夜に寝たにも関わらず、朝から元気な芽美さんの案内で、残波岬に近い「チビチリガマ」(避難住民lo15/140、名中85名が強制集団死した壕)に行きました。男性15才以上は軍隊へいき、残されたお年より、女性、子どもたちが敵のなぶり物にされるよりは自分たちの手で…と愛する人達と殺し合った場所。二度とこんな悲劇を起こしません!と手を合わせてきました。

そのあと嘉手納基地を見渡せる場所や、「象のオリ」と呼ばれる大スパイ基地、読谷村役場の憲法9条の碑も見る。夜は、名護のKAZEでライブ。ひきこもりを乗り越えた若者達や子育て真っ最中のお母さん達が頑張って下さいました。

 

6/23 

アレン・ネルソン関西事務局の竹内さんが4月から大阪より沖縄に移ってこられて、この日、南部を案内して下さいました。

ひめゆりの塔の舞台となった南風原陸軍病院壕のあとや文化センター、それぞれの壕の前で慰霊祭が行われていました。

民衆の慰霊の場「魂魄の塔」では喜納昌吉氏と会いました。夜は京都からのうたごえの皆さんと交流。

今回、沖縄で歌いたいという思いを快く受けて下さった芽美さんに心から感謝します。「野田さんの申し出が3年ぶりに私のコンサートに取り組むきっかけになったのよ」と言って下さるあたたかさ!ペンションのオーナーとして、料理人もガイドも、そして歌手もやってのけるエネルギーに心底驚きました。平和が大好き、人が大好き、小さな身体ででっかい心の人でした。私も帰ってから、じっとしてられなくて、平和の想いを子どもたちに少しでもたくさん伝えたいと、さっそく地元の小学校へコンサートのおすすめにいき、即OKが出て9月に歌うことになりました。

沖縄でお世話になった皆さん、ありがとうございました。また、必ずいきます。

 

<シリーズ> 野田淳子と私
 出会えてよかった

外池しげ子

私と野田さんとおつきあいは、今から十四・五年も前の事です。「高校40人学級をすすめる会」(今は30人学級をすすめる会)で主題歌を交野のお家にお願いに行ったのがきっかけです。それから、二〇周年のコンサート(尼崎アルカイックホール)三〇周年コンサート(大阪ドーンセンター)の実行委員になってより親しくしていただいています。

あの澄みきった声はもちろんの事、平和と命の尊さを語り、生きる事の大切さと喜びをつたえる歌は、いつ聞いても感動がいっぱいです。もう一つ私が淳子さんに惹かれるのは舞台ではあれほどみんなの心をいやし、生きる力をあたえるすばらしいステージなのに、いったん舞台を降りられると、かわいい普通の女の人に一転されます。それと一回一回のステージが初めてのように、終わると「今日のステージどうだった?始めの曲ちょっとかたくなっていたのわかった?」そんな調子でくったくのない笑顔と、ケラケラとあっけらかんに声を出して笑われる姿がなんとも言えない魅力です。

それともう一つ、本人も言っておられるように実に何を食べてもおいしそうにパクパクとたいらげてしまわれます。又その時のしあわせそうな顔…。その顔を見ているだけで、こちらも引き込まれておいしくなります。どうも淳子さんがいつまでも明るく、元気で若々しくいられる原点は、よく笑い、よく食べ、よく寝ることにあるようです。その点私も負けない食らいよく笑い、よく食べるのみなぜこうも違うのでしょうか?神さまも意地悪ですね。(いやいや、人はみんな違ってみんないいんだった)うらやましがったらいけないわね。私は文化と名の付く物は全部すきです。音楽はもちろん、お芝居、歌舞伎、おどり、何でも夢中になります。ひまとお金を見つけては飛び回っています。人間って、おいしい物を食べて、すきな事をしていたら、おのずとすてきになれて、しあわせになれるのでしょうね。

孫が三人もいる私ですが、残りの人生、まだまだ多方面に好奇心をもち、すてきに年を重ねたいです。最後にみんなから「あなたに出会えてよかった。」と言われるように。

野田淳子さん、今回七月七日「七夕の夜をあなたに」の高槻でのコンサートで思ったのですが、声がきれいなだけでなく、つやと深みが出てきたように思いました。これからもますます多くの人にしあわせと、生きる勇気をあたえる歌。又金子みすゞさんの作った歌のように、なるほどとうなずける、心があたたかになる歌。広い分野でご活躍下さい。くれぐれもご自身も大切にして下さい。みんなの野田淳子さんだから…。

 

コンサートの感想

2002年7月 西橋内中学校(津)の人権コンサート感想文集から


本当にきれいな歌声で感動しました。「元気かい」とかすっごく盛り上がったし、間のトークとかも教わった事もいっぱいありました。最後のあいさつで言ったように「千羽鶴」は泣きました。普通にくらしていた子供たちが母親の顔も見れずに死んでしまった。そんな母と子の気持ちを考えると本当に胸が苦しくなりました。(3年女子)

すっごく一つ一つの歌に意味があって命のとうとさと人との大切さをわからせてもらったと思います。さとうきび畑という曲は前にテレビでかかっていたのを見ていたときとっても、心がじーんとしました。たいへんな戦争時代があったからこそ今があるし、自分たちがいるんだと思います。だから命を大切にしないといけないと思うし、この今に生まれてきたことを大切にしなければいけないと思う。(3年女子)

とても楽しいコンサートでした。知っている曲も沢山あって飽きませんでした。私はギター等の弦楽器類は全く弾けないので、滑らかに思い通りにギターを操っていいる2人がすごくうらやましかったです。実はギターのコンサートを見るのは初めてでした。限りなく難しい人権の問題を、歌で考えていけたらいいな、とコンサートを聴きながら思いました。(3年女子)

すごく声がきれいで、のびもあって、聞いてて自分がリラックスできました。野田さんのトークは心がじ〜んとなって、話の内容がつらすぎて…。戦争とかそういうのがすごく、また余計につらくて、もうやめてほしい、戦争なんて…って思った。ジェットきのついらくの話も…。野田さんの歌ってすっごく感情がこめられてて、つらい気持ちにもなったし、元気にもなれて…。そういうのに弱い私は…ダメですね。なきそうでした。(3年女子)

曲に関するお話の方はとてもわかりやすかったです。特に悲しかったのは9番目の千羽鶴のお話でした。このお話を聞いたときは、少し泣きそうでした。特に楽しかったのは手話でした。はじめはなかなかうまくいかなかったけど、何回かやっているとだんだんおぼえていってとても楽しかったです。(3年男子)

特に印象に残っているのは千羽鶴です。神奈川に軍事基地があったなんて初めて知ったし、こんな事件があったなんて今まで知りませんでした。野田さんがウルウルしていたので、私もウルウルしました。あとは、大きな歌を作ったのがだんなさんだと知ってすごいなあと思いました。あと「久し〜ぶりだね〜」って歌うのも楽しかったし、手話も勉強になりました。「I Love You」を使ってみようと思います。(3年女子)

人権コンサートっていう題名だったから、もっとかたくるしくてつまらないと思っていたけど、めっちゃ楽しかったし、感動したし、人権について考えさせられた。「さとうきび畑」はうちの父がすごく好きで、私も何度か聞いたことがあったけど聞き流していて、歌詞とか全然見てなかったから、人権コンサートでちゃんと歌詞をきいて、野田さんの話をきいて、こんなに深い悲しい意味があったなんて。全然知らなかった。改めて戦争はこわくて、人権なんて無視どころかもうはじめからないみたいにされていたんだと思った。(2年女子)

1曲目の曲は学校で2回くらい聞いていたからいい歌とわかっていた。でも生で聞いたら学校で聞いた時よりもきれいに聞こえた。野田さんの声はきれいだなと思った。知らない曲が多かったけど「さとうきび畑」と「大きなうた」はテレビなどで聞いたことがあった。「大きなうた」は野田さんの夫が作ったと聞いてびっくりした。野田さんの後ろにいた男の人がたたいていた楽器は初めてみた。男の人はたたくのが上手だと思った。(2年男子)

僕の学校にも、学校に来たくてもこれない人がいる。だからその人に「元気かい」という歌を聞かせてあげたい。 (1年男子)

すばらしい歌声とせつない歌詞に心が動かされた。戦争の事とかが歌になっていてすごくききやすかった。このコンサートで人の大切さが身にしみてわかった。(2年女子)

どの歌もいい歌だと思ったけど、「千羽鶴」という歌は横浜のアメリカ軍基地の飛行機がある一家の上へ落ちてきた悲しみをそのまま歌にしてあってすごく悲しかった。この話を聞いたことをきっかけにいっそう人権に対する理解を深めていって、人を大切にしていければいいと思う。(2年男子)

「みんながちがうから、おもしろくていい」という野田さんの思いが、野田さんの歌から伝わってきました。(2年女子)

「わたしと小鳥とすずと」にあんな音楽がついていたなんて知らなかった。でもきれいな音楽だった。「わたしと小鳥とすずと」に合っていたと思う。(1年男子)

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