☆ 野田淳子コンサート通信 ☆
「歩きつづけて」bP3
(2001年7月発行)

ビバ!野田淳子さん 

寿岳章子(国語学者、エッセイスト)

以前、私は野田淳子さんのうたに対し、「心歌」という名づけをおこなったという記憶があります。「心歌」とは単に歌詞を、楽譜通り歌ううた、という意味ではありません。ほんとうに歌詞を理解し、その歌詞と一体になった情況で、ひとりでにことばがリズムやメロディを伴って口をついてくる時、それを「心歌」と名づけているのです。

このたびの野田さんのCD(音楽センター製作・発行)を聴きました。まよなかすぎから聴きはじめたのですが、終わって、深い溜息をついた時はもう午前二時でした。エーもうこんな時間!?と思ったのですが、一つ一つの歌に感動していると所謂客観的時間はどんどん過ぎていったのでした。でも聞き手の心はじっと野田さんのうたとともに存在し、歌そのものの動きにつれてとまったり大空を駆けたり、水を眺めたりしていて、いわゆる「時」の流れとは無関係なのでした。

野田さんの声についてはうんと以前から色々のほめことばが与えられています。それはたしかにそうなのですが、私は今回のCDをきいてみて、もっともっとちがう表現をしないと淳子さんのうたの本質には迫れないと思いました。 彼女のうたの声は、ことばが鳴っているのです。私は、今回のCDの特質は、ほんとうにいいことばを彼女が探りあてているということだろうと思います。淳子さんが表さずにおれないことばは、彼女の声がえらびだし、うたわずにおれないものなのです。

野田淳子さんのうたが、この世に送り出されてもう三十年。私と淳子さんのおつきあいもそれよりは少し短いと思うが、ほぼそれ並みの月日が流れたのです。そう思うと深い感動におそわれます。

一番初めはやはり大阪のあるホールで聴いたのでした。歌はみごとに成長していきました。その時その時に応じて彼女のうたは深まり幅を広げていきましたが、ハッと気がついてみれば押しも押されぬみごとな大歌手になっていました。幅も深さも十分に年月の推移をあらわしています。新しいステージごとに新しい彼女が存在します。

そして言えることは、彼女のうたう姿勢のすばらしい変化がわかるということです。人間としての彼女の成長がそうさせるのです。このような歌い手はやはり珍しいのではなかろうか。天成の彼女の素質も全く衰えることはありません。私たちは、新しい舞台ごとに彼女に期待します。

(2001年6月18日付 うたごえ新聞より転載)

 

<シリーズ> 野田淳子と私
 「野田さん再発見」

松本則子(人形劇団クラルテ)

何十年前になるのかな。野田さんは細々と歌っていました。ギターを背負って、こどもの手をひいてやってきては歌っていました。その子どもはとっくに成人し、親に説教できるようになっているらしい。野田さんと私はそれくらい古いつきあいです。

人がせわしげに行き交う街角で、ハンドマイクの少しでかいやつで歌わされていました。砂埃が舞う、祭り広場のスピーカーから、キーンとハウリングの音と一緒に歌っている声を聞きました。野田さんのこと何書こうかなと思い返していて、発見しました。野田さんはひどい扱いをうけてきたんや。こらけしからん。

けど明るいね野田さんは。なんでそんなに笑うことあるのといつも思う。私を見たら「この間ひどかったのよ」と今もけしからん目にあっているらしいことを訴えてくるのに、笑いながら話すから楽しいことにしか聞こえてこない。

ニコニコ笑っているのに、横浜で飛行機が落ちた事件や、さくらという子の歌やと、歌い始めたら聴く人を泣かせています。泣いているけど、なぐさめられているのではなくて、やっぱり暖かいのかな。明日も生きていこうと思わせてくれます。

ステージの上の野田さんしか知らない人は、私に「野田さんてどんな人」って聞いてきます。そうか、野田さんはスターなんや、私はスターと友達なんやと、関係ないのに誇らしく思ったりして、でも「普通のおばさんやで」と答えます。普通のおばさんがギターを持つと普通でなくなる、摩訶不思議やね。

去年かな、5月3日の憲法の日に一緒に仕事をする事があって新しい野田さんを発見しました。打ち合わせが終わってみんなで食事に行くことになりました。野田さんは「食べてきたから、どうしようかな。少しおつきあいしようかな」と言っていたのです。なのに、私の4倍は食べました。野田さんのバイタリティーの素は笑うだけやない、食欲やと、そのとき私は知ったのでした。

 

コンサートの感想

2001年6月 大淀高校(奈良)の感想文集から

ギターの強弱、野田さんの透き通った声などとてもききやすく素晴らしいものでした。しかしそれにもまして素晴らしかったのは歌詞でした。まわりくどい言い回しもなく、ストレートに野田さんの気持ちが伝わってきました。これからもいろんな人にその素晴らしさを伝えて下さい。  Kくん

とてもいい曲ばっかりでした。心が落ち着く声で心がなごみました。涙が出そうになった曲も何曲かありました。「桜」という曲と最後の曲がとてもよかったです。一人ひとりが生きていて自分の心の声を届けようとしている。伝えたいけれど伝わらない。でもあきらめずに最後まで心の声を伝えなきゃ誰もわかってくれない、誰もわかろうとしてくれない。ほら大きい声で自分の心の声を呼べばいい。もうすぐ伝わるよ、きっと…。  U子さん

障害者についての話を聞いて、それで歌を聴いていろいろと考えたりしました。自分は今普通に生活をしているけど、もし目が見えなかったりしたら、どうやって生活していくのだろうかと考えたら、やっぱり生活する、生きるということに答えなんかなにもないと思いました。「みんなちがってみんないい」ということばに深い意味を感じました。みんな考えることも見た目も性格もすべてのことに関してみんなちがうものをもっているんだから、みんなそれぞれ生き方もちがうと思いました。  S香さん

 印象に残っているのは「みんなちがってみんないい」タイトルにもなっている歌だ。私も他人にはわからない自分にしかできないことを、何か見つけてみたいと思った。  N子さん

一番印象に残っているのは、子供が生まれてくる前から障害があるとわかったら、生まないで殺してしまうような考え方を、今まで私は持っていたかもしれないことです。でも目が見えなくても手で見ればいいという話、子供には限りないものがあるという話が印象に残っています。本当に人の命は大切にしていかなくてはいけないなと思いました。  Y江さん

人間は一生懸命生きていること、生きたいと思っているのに生きられない人や子どもがいたり…。それも考えると当たり前の事なのに普段は特別に考え込むような事ではなくて気にする人もいないと思う。そんな命の大切さや生き方を改めて考える事ができたと思った。  A子さん

今までの講演とちがって、コンサート形式ですごくよかったです。「みんなちがってみんないい」あの話はたしか中学校のとき習った気がします。自分はもっているけど小鳥やすずは持っていない。でもそれは不思議なことでもなんでもなく、ごくふつうのことなんだと改めて感じました。  K子さん

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